「は?カカシ先生がそんなこと言われてたのか?」
受付業務を代行してもらっていた同僚からの話に俺は眉間に皺を寄せた。
その日、本来ならば俺が受付業務の日だったのだが、ナルトがサスケを連れ戻そうとして大怪我したと聞いて、ナルトの荷物を持って病院へと向かったのだった。
ナルトには身のまわりを世話してくれる家族というものがいない。サスケの里抜けを食い止めることができなくて、きっと心境は複雑に違いない。かけてやるべき慰めの言葉なぞ見つからなかったが、とにかく身のまわりのものを用意して行こうと思ったのだ。
だが、実際にはナルトの元には今回のサスケ奪還班の隊長だったと言うシカマルや、何故か気を失ってしまったヒナタなんかがいて、それなりに病室は賑やかなものになっていた。
俺は荷物を渡すと、早々に病室を後にした。
そして受付業務を代わってくれた同僚に礼を言って戻った所で、受付での一件を聞いたのだった。

「同じ木の葉の里の忍びならさあ、はたけ上忍の心境を察するに余りあるだろうに。きっと常日頃のやっかみだとかストレスだとかをぶつけたかっただけなんだよ。それなのにはたけ上忍は怒りもせずに受け流して任務に行ったんだ。ほんと、エリートって言うのはそういう所もしっかりしているって言うか、さすがだよ。」

同僚はそう言ってうんうんと頷いている。
しっかりしている、か。でも、何を言われても傷つかずにいられる人間なんているのかな。いくら心を凍結して遮断したって、引っかかれたら血は流れるものなんじゃないだろうか。
いや、あの人に関わってはいけないんだった。俺なんかが何を思った所でカカシ先生がどうにかなるはずもないし、きっとアスマ先生が言ったように、俺は迷惑になるだけなんだから。
その時、火影様が入ってきた。どうやら治療が終わったらしい。サスケを追った下忍たちの中にはひどい怪我をした者もいると言う。ナルトの様子を見に行った時に、全員、無事と言うわけではなかったが、後遺症が残るような怪我をして最悪の状態になることはなかったと聞いた。が、その後も治療は続いていたのだろう。

「はぁ〜、疲れた。こう言う時は熱燗できゅーっと一杯いきたいもんだねえ。」

火影様、その案は却下です。と受付中の誰もが思ったに違いない。
まだまだ里は混乱している。気を緩める時間などないのだ。カカシ先生だって休む間もなく任務へと行ってしまった。しかもSランクだ。どうか無事に、ただそれだけを願った。
俺は背筋を伸ばした。

「はぁ、疲れたなぁ、おい。」

「アスマがあそこで近道なんかしなければ敵になんて気付かなかったのよ。」

しばらくすると、アスマ先生と紅先生がやってきた。どうやら今回の任務は二人で同行していたらしい。
アスマ先生が報告書を俺に渡してくる。任務はちょっと余計な敵と遭遇したようだが問題なく遂行されたらしい。その分、少し疲労が増えたようだけど。

「はい、受理しました。お疲れ様です。」

が、受理した後も、アスマ先生はなかなか前から立ち去ろうとしない。どうしたのかと首を傾げていると、火影様の席をちらっと見て、少し言いにくそうに言った。

「あ〜、綱手様はまだあいつらの治療中なのか?」

なるほど、アスマ先生、素直じゃないからなあ。心配なら心配って言えばいいのに。

「火影様は今接客中です。サスケ奪回班の子たちのことでしたら、みんな安全ラインは確保したとのことでしたから、大丈夫ですよ。」

アスマ先生はそうか、と言って少し笑ったようだった。そして今気が付いたのか、煙草に火を付けた。表面上ではそうは見えなかったが、やっぱり動揺してたんだろうなあ。

「アスマったら任務中ずっと気になってたのよ。だから一刻も早く帰りたくて近道なんかしようとして。」

紅先生はくすくすと笑っている。と、そこに耳障りな声が聞こえてきた。

「けっ、元はと言えばあの天才忍者のはたけカカシがだらしねえからこうなったんじゃねえかよ。」

ぼそりと聞こえてきた言葉に俺は瞬時に反応してしまった。声のした方向を見ると、受付のソファに数人の男たちが座っていた。
同僚が言っていた、カカシ先生に食ってかかった男たちと同じ人物だろうか?いや、そんなことは分からない。
アスマ先生も紅先生も聞こえているんだろうが、まったくの無視を決め込んでいる。
こう言った輩は放っておくのが一番だって言うのは分かっている。食ってかかってはいけない。熱くなってしまった方が相手におもしろがられてしまう。

「いつかこんなことになるんじゃないかと思ってたんだよ。九尾のガキもうちはの生き残りも、マインドコントロールでもなんでも、首に鎖をつけて監禁していればよかったんだ。みすみす敵の手に渡る前によお。」

男たちの言い分は、かつてナルトやサスケを扱うにあたって、一度は論議の机上に上がった意見でもあった。
危険なものは奥へ奥へとひた隠し、自然死するまで生きた屍のように扱うべきだ、と。
が、三代目を始め、多くの木の葉の忍びたちはこれに異を唱えた。
例え危険なものを内に隠し、いずれ自分の身にかかるであろう災厄が己を苦しめる日が来ようとも、木の葉の仲間である、これからの未来を担う子どもたちに一筋の光すら当てることなく、感情のないただの人形としての人生など、送らせるわけにはいかぬ、と。
他の子らと等しく、隔てなく育て、木の葉の火の意志を受け継がせるべきだと。それはつまり、二人が里にとってかけがえのない火と言うことだ。仲間と言うことだ。信頼すべき、愛しい子と言うことだ。
それを、三代目の意志すら踏みつぶし、ただの人形として生かすべきだったとこの男たちは言うのか?

「結局、エリートだ天才だと言われて天狗になって、部下の管理もろくにできなかったってことだろうが。上忍師っつっても、裏ではなにやってたんだかな。」

「案外、今回のうちはの里抜け、あのエリートがそそのかしたんじゃねえの?」

「ありえるかもなあ。奪回班を助けに行ったらしいが、もしかしてあの大蛇丸と繋がって手引きしてたんじゃねえの?」

男たちがけらけらと笑っている。
俺は静かに立ち上がった。そして瞬身で男たちの目の前に立つと、男たちに殴りかかった。
いきなり殴りかかってきた俺に、男たちは半ば呆然としつつも、そこは忍びだからか、臨機応変に対応していく。
アスマ先生が俺を止めにかかって、反撃しようとしていた男たちを紅先生が威嚇して止めている。だが、そんなことは関係なかった。

「ふざけるなっ。お前らよくもそんな恥さらしなこと言えるなっ。」

あの人がどれだけ苦しんでいるかなんて知りもしないくせに。失ってきたものを、悲しみを胸の内に閉じこめて笑うしかできない、不器用で優しいあいつを愚弄する奴は、俺が許さねえっ。
お前が泣けないから、俺が代わりに泣いてやるから。お前の悲しみも苦しみも、俺が全部抱き留めてやるから、だからお前には一等幸せになってほしいと願っていたはずなのに。
誰にだ?誰に幸せになってほしいと?そうだ、あの夜だ、月の綺麗な晩に、俺は祈ってた。
ただ一人の、俺の大切な幼なじみに。

「ぐ、があぁあっ」

激しい頭痛がして思わずその場に崩れた。頭を押さえるがどうにもならない。腕の感覚がもはやない。手がそのまま腐り落ちていくんじゃないかと思わせるような絶望的な痛みだ。

「イルカ、どうしたっ」

俺を押さえていたアスマ先生が俺の様子を見ている。

「お前ら、イルカに何をしたっ。」

「何もしてねえよっ。勝手に苦しんでんだろっ。」

男たちも俺の痛みの形相に呆然としているようだ。だめだ、意識が、朦朧としてくる。目が、霞む。

「これは、前にもあった症状だわ。イルカ、あんた病院にいかなかったのっ?」

紅先生が俺の顔を覗き込んで聞いてくる。

病院、そう言えばそんなことを言っていたような気がしたが、でも、あれからは何も、こんな症状は。

「おい、紅。前にもあったってどういう事だ?」

「だから、前にもイルカと話しをしてて、急にこんな風に頭と、あと腕に激痛が走ったみたいで、でもその時はすぐにその症状が治まったのよ。」

「どういうことだ?この痛がり方、尋常じゃねえぞ?」

「あたしもそう思って病院へ行くように言っていたのに。イルカ、とにかく今すぐに病院に連れて行くわ。」

その時、バタン、と大きな扉の開く音がしてカツカツと靴音を鳴り響かせて人が入ってきた。

「なんだいなんだい、騒々しい。来客中くらい静かにできなかったのかいっ?」

綱手様が帰ってきたらしい。

「綱手様、丁度良いところに。イルカを診てやって下さいっ。」

アスマ先生がせっぱ詰まった声を上げている。少し珍しい。

「イルカ?どうしたんだい。ひどい痛がりようだ。どこが痛む?何をしていてこうなった?」

俺は、恐ろしく痛む腕を、ぶるぶると震えながら綱手様に差し出した。冷や汗が滝のように流れ出る。もう、俺の命は風前の灯火かと思えるほどだ。
綱手様は遠慮無く服の袖をまくし上げた。それだけでも針に刺されたような痛みが走る。
そして俺の、なんの変哲もない腕を診て一瞬驚いた後、静かに言い放った。

「これは封印術だね。しかも精神に負担をかけるものだ。最近、何か変わったことはなかったかい?チャクラが練れないとか、あとは記憶がなくなってるとか。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく開印する。」

「ちょっと待ってください。実は、イルカは自分で自己暗示をかけて一人の人物の記憶をなくしてるんです。それのことだったら、」

アスマ先生が慌てて言った。

「は?自己暗示?そんななまっちょろいもんじゃないよ。術者が渾身のチャクラで施した凶悪な封印術だ。医療忍術に詳しい者でないと施術できない上に、術を仕掛けた方もかなりのリスクを負う。おそらくこの里で私以外に開印できる者はいないだろう。イルカ、少しの辛抱だ、我慢しとくれ。」

綱手様は印を結んでいく。そして右手にチャクラを集中させると、そっと俺の腕に触れてきた。今までの比ではない痛みが全身を走った。だが、それは一瞬で終わり、ほどなくして痛みは引いていった。
そして、あふれ出していく、記憶の渦。

「あ、」

俺は、涙をこぼした。誰のために泣いたのか、己のためか、それとも別の人物のためか。体の痛みではないその涙に、俺はなすすべもなく、ただ呆然と流れるままにしておいた。
そしてたった一人の、失っていた記憶の人物の名を口にした。

「カカシ、」

と。